概要
藤原道長は晩年にあたる寛仁3年(1019)、自邸である土御門殿の東の鴨川近くに九体阿弥陀堂建立を発願し、翌年落慶して無量寿院とした。治安2年(1022)には金堂、五大堂が造られ法成寺と改められた。その後、講堂や薬師堂、僧房などが次々と造営された。当時の仏像は定朝を中心とする多数の仏師による。万寿4年(1027)、道長は法成寺阿弥陀堂で死去。荒神口通寺町東入にその場所を示す石碑がある。
藤原道長は晩年にあたる寛仁3年(1019)、自邸である土御門殿の東の鴨川近くに九体阿弥陀堂建立を発願し、翌年落慶して無量寿院とした。治安2年(1022)には金堂、五大堂が造られ法成寺と改められた。その後、講堂や薬師堂、僧房などが次々と造営された。当時の仏像は定朝を中心とする多数の仏師による。万寿4年(1027)、道長は法成寺阿弥陀堂で死去。荒神口通寺町東入にその場所を示す石碑がある。